三の三というのは女流の関西節の一般的な調子の高さ。
豊子師匠がきょとんと私を見て、
「なに? アンタ、低調子やるのかい?」
いろんな昔の女流を聞いているうちになんとなく覚えちゃった低調子の節を、豊子師匠に合わせていただきたくなった。
関西節の地節は、声を鳴らし、遊ばせ、「歌う」という感じ。
「やっぱり関西節のほうが、やわらかいんだねえ」
と豊子師匠。ホントだ。
関東節は、「突っ張る」感じ。
関東節と関西節。明治初期に大同団結して「浪花節」になったものの、もともと出自も違えば、きっと節に潜む精神も違う。
かの正岡容大先生の言葉を借りれば……。
「大利根の蘆のそよぎ、水のいろ、一と雨来そうな日の空合、赤とんぼ、行々子、「銚子のそばの松岸」の灯――そういう長谷川伸や子母澤寛の小説でおなじみの風景を、もっと真実に、もっと哀切に、ハッキリつかみだしてみせてくれるのが、我らの関東浪曲だ」
「登場人物にみんな金がない、くひつめている、傷だらけである、やくざである、だから至純な「涙」をもつ――あの棄てばちに切々と愁いを噛む境地……」(関東浪曲一夕話)
……オンナらしい世界じゃないなあ。
だいたい、関東節の有名な演題を上げるならば。
まず有名なのは虎造御大の「清水次郎長伝」。
初代木村重松といえば「慶安太平記(由比正雪の乱)」。
大正時代の四天王の一人、初代木村重友(国友先生の師匠)の「天保六歌撰(河内山宗俊)」。
私の属する玉川派のお家芸が「天保水滸伝」。
……ああ、なんて男らしい。
その関東節の担い手が激減した。かつて「パンと浪曲は木村に限る」とまで言われた木村派は、もう若友師匠御一人だけだ。
過去、女流の関東節で看板になった方は、私が知る限り、二葉百合子先生しかいない。
高く突っ張る声と胴声とのコントラスト。女に向いている節ではない、かもしれない。
でも、アコガレを、止めることはできない。
初代重松なんか聞いたら、しびれちゃうんである。
前に、面と向かって「女に関東節は無理だ!」と断じられたことがあった。
てめえっち、言いやがったな。うちの師匠に失礼だろう。
くるっと尻まくってぺったり座り、啖呵を切ろうと息吸い込んで……。
いや、あくまで、ココロの中でね。河内山じゃあるまいし。女の子だもの。
だいたい関東節には、情緒纏綿たる物語は少なくて、不器用なやつら、悪党でも憎みきれないやつら、人のために簡単に命を捨てちゃうやつら、すっとこどっこいなやつらの話が多い。
それが愛しいんだなあ。
はい。考察シテイル場合デハアリマセン。お稽古しよう。
関東節の未熟者には、きちんとした説明はできません。私が理解している範囲でお答えします。
節でいえば、私の声の出る範囲は、関東節であろうが関西節であろうが変わりませんが、関東節をやるときにお師匠さんい合わせてもらう三味線の調子は、関西節をやるときより、高いのです。同じ演者が演じる場合、関西節のほうが、三味線の調子を低くあわせます。
節のバリエーションは、関西節のほうがあると思います。昔の純粋な関東節は、合いの子も使わず、「関東節」一本で押しました(重友御大などはまったくそうです)。だから単調と言われる部分もあるかと思います。今は、関東節でも、アイノコ、セメ、愁嘆……いろいろな節を演者は取り入れていますから、一概に言えないと思います。
ただ、日記にも書きましたように、節の持っている「雰囲気」が、少し違います。関東節は、突っ張る感じ、関西節は歌いこむ感じがあります。
節をいっぱい知っている演者なら、関東節、関西節、自在に使い分けられると思いますが、通常はそのように器用にスイッチすることはないと思います。……お答えになっておりますかどうか。
ところで、「今日は関西節で」とおっしゃったのは、今の浦太郎師です。お元気になられた後、一席聴かせていただきましたが、ラ行が出にくいかなと感じたくらいで、ほとんど病気前と同じ状態に戻られた気がしました。よかったですね。
明日の三凱亭、がんばってください。残念ながら、仕事と体調不安で自重します。10月12日,13日,14日の3日連荘に備えて、仕事と体調を調整せねばなりません。
取り急ぎ、お礼まで。
三味線について、西洋音階的に言えば、私の声の調子だと、関東節の場合、「3の2」=二の糸を3(E。ミの音)の高さに合わせます。関西節では、三の糸を同じ3(E。ミの音)の高さに合わせます。
三下がりというチューニングは、たとえば、二の糸をEでとるなら、
一の糸=B 二の糸=E 三の糸=A
となります。このチューニングに合わせている三味線を、私が低調子をやる場合には、三の糸のAをEにまで下げてチューニングしなおすので、三味線の調子が全体に低くなるのです。
口演でお疲れのところ、またまた丁寧なご説明、申し訳ありませんでした。少しずつ分かってきました。ありがとうございます。やはり三味線そのものの知識のなさをひたすら後悔しています。音感が皆無なのでいまさら始めるわけにもいきませんが...。演者や曲師の方々が修行を積まれるように、観客の一人として、浪曲ファンとして、聴き方の修行をしなければいけないと痛感しています。