定例のネタおろし勉強会があり、6月に歌手として出す新曲二曲と浪曲の収録があり、CDジャケットの撮影があり、伊丹賞の授賞式の準備があり、そして授賞式があり、ラジオの収録、生出演。
大きな公演としては「奈々福・太福の二人天保水滸伝」二日間公演、「奈々福版 浪曲熱海殺人事件」@紀伊国屋ホール、「玉川福太郎十三回忌追善公演」@木馬亭、そして大きくないけど「奈々福のレアネタ」での正岡容原作「置土産」(ホントにレアでした。実はこれが一番難儀しました)。
その間に豊子師匠が転んでけがしたり、病院連れてったり……(打ち身だけで、骨に異常なく、だいぶよくなりましたので、ご心配なく!!! それにしてもお師匠さんは、私と一緒じゃないときに限ってけがをする。腕のときも踵を折ったときも、背骨も首も手首も今回の足も……なんという怪我のオンパレードだ! 私に心配かけるのが趣味なのかっ?)
よく心身が持ったぜ……。
4月26日。伊丹十三賞の贈呈式@国際文化会館、でした。
3月某日、突然お電話をいただき、受賞のお知らせをうけたときには、心底驚きました。
受賞がオープンになったときに、ブログに書きました。
贈呈式の会場は、岩崎小弥太邸の跡地で、庭園がとても美しい国際文化会館です。
贈呈式の写真は、公式サイトに上がっています。
真ん中に浪曲の演台をしつらえていただき、上手側に伊丹十三記念館館長の宮本信子さん、そして選考委員の平松洋子さん、周防正行さん、南伸坊さん、中村好文さんが並ばれ。
写真:御堂義乘
反対側に、奈々福と豊子師匠。
すごい顔ぶれのお客様、いっぱい。圧倒される思いでした。
選考委員の平松洋子さんが、祝辞を述べてくださいました。
選ばれた言葉、ひとつひとつ、震える思いできいていました。
これは、本当に私のことだろうか。
写真:御堂義乘
伊丹十三さんのエッセイ集「女たちよ!」の冒頭に「私自身はほとんどまったく無内容な、空っぽの入れ物にすぎない」と書いてありました。信じられないほどの才能の塊であった伊丹十三さんにおいてこんな言葉をおっしゃるのかと思ったのですが、いや、伊丹さんだからこそ、こういうのだと思いなおし、また、僭越ながら共感しました。
私も自身を、まさにうつろな器、と思います。
すべては習ったこと。
芸は言うに及ばず、後見のしかたも、楽屋での立ち居振る舞いも、どなたからどういうふうに教わったか、逐一思い出せます。
まったく浪曲に縁のなかった私を、教え導いてくださった、うちの師匠をはじめとして、多くの大先輩方、支えてくれたスタッフ、お客様に、心から感謝しております。
そして……沢村豊子師匠。
豊子師匠に弾いてもらってなかったら、奈々福はこうなってはいないです。入門このかた、一番長い時間を共に過ごしてきたのが、豊子師匠です。浪曲は二人で一つの芸。だから、今回の受賞は豊子師匠と一緒の受賞です。お師匠さん、嬉しそうだった。宮本信子さんの手を握って離さなかった(笑)。
明日からも精進しなくちゃと、強く思った晩でした。
贈呈式の詳細は公式サイトのこちらと、こちらに、まとめ方の超すばらしいドキュメンタリーとして掲載されています。
近くの小さなクラフトビール屋さんでの二次会には、最高顧問の内田樹先生をはじめとするMTKの方々や、ご縁の深い方々にお集りいただき。他用で贈呈式にご出席かなわなかった安田登先生が駆けつけてくださいました。
先生を中心に内田先生や、謡を習っておられる方々で「高砂」を、そして安田先生がお祝いのためにオリジナルでつくってくださった謡をうたってくださるという……邪気が払われ、その場が清められるような、なんという祝祭感!
5月1日夜@紀伊国屋ホール。昨今一番高いハードルの公演。「奈々福版 浪曲熱海殺人事件」。チケットはなんと、発売初日にほぼ完売……いったいどういうことか。

昨年3月の「玉川奈々福、喬太郎アニさんをうならせたい」。
この会では、必ず、喬太郎師匠をうならせるような新作を、奈々福はやらなければならない。そこで思いついたのが「熱海」の浪曲化でした。
で、作ったのですが、そのときは時間の関係で、半分しか披露できなかった。
でも、そのとき全部やらなくて、よかったんです。
そもそも、つかさんへの思いが強烈に強い喬太郎師匠の前で平気で「熱海」やっちゃう私も私であるが(もちろん私もつかさんにはどっぷりハマった時期があるからこそ作ったんですが)、その日の打ち上げで、喬太郎師匠の口から、あふれ出るようにぶわ〜〜〜〜っと言われたさまざまなこと。これを聞いて「この台本のままじゃダメだ!」と思い、全面改稿したのです。
だから、5月1日の熱海は、ほぼネタおろしであった。
これを、つか芝居の記憶の堆積があり、経験値も非常に高い紀伊国屋ホールでできたことは、ものすごい幸せでした。
というか、その凄さをつくづく感じたのは当日でした。
スタッフの方の、用意周到さたるや。
台本を理解し、私の意図を読み取り、やりやすいようにしつらえ、また、意見を言ってくださる。
花束打ちの花束は、ただの花束ではああはならないのです。
すべて、経験と思いの裏付けがあることを、当日思い知らされ、それに支えられて、舞台が進みました。
喬太郎師匠が三つ揃えで出てこられたときの、客席の異様な興奮!
めった打ちされる快感!
舞台の上で豊子師匠を抱きしめたら、お師匠さん、小さな声で、「アンタ、ありがとね」と言った。
……浪花節では、不足かねっ!?
喬太郎師匠が「よく、まとめたな」と言ってくださった……もう、涙。
打ち上げでビールを飲みまくってしまいました。
5月3日夜@木馬亭。「玉川福太郎十三回忌追善公演」。
師匠の写真を大きく掲げた下で、弟子5人と、師匠の兄弟子のイエス玉川師。
一門がそろうことは、案外ありません。
一時期師匠に入門して浪曲をやっていた、双子の兄弟、福太くん福丸くんも、駆けつけて。
三味線は、福太郎一門のおかみさん、みね子師と、豊子師匠。そして奈々福もこう福姉の一席を弾きました。
これは、亡き師匠が天上でよろこんでくれたのではないか。
「この子は三味線でとった弟子だ!」「三味線忘れたら拳固だぞ!」
……曲師としては半端になってしまったけれど、まがりなりにも一席弾いて、師匠に聞いてもらえたかな。
そして芸の上での伯父さんであるイエス師匠が、弟子たちに心を寄せてくださったことも、嬉しいことでありました。
ふう。この間、なかなかにハードな舞台の数々に、お付き合いいただきましたお客様に心よりお礼申し上げます。
今月は、まだイイノホールの「左祭」や、年来の憧れの劇場であった群馬の素晴らしい「ながめ余興場」での独演会、そして一週間の関西公演があります。
6月は、日本コロムビアからの歌手デビューが決まっており、20日にはリリース記念イベントを、渋谷のユーロライブで行います。浪曲一席と、新曲二曲、それ以外に一曲歌うほか、トークゲストに女優の熊谷真実さんにご出演いただきます。……これがどんなふうに展開していくのか、そもそも、なんでこんなことになったのかの経緯も書きたいんだよなあ。「歌手になりたーい!」でこうなったわけではないんで……ええと、また書きます。
あ、そうだ。「浪曲映画〜情念の美学」についても書きたいんだけどなああああああっ!