プロフィール
this is the NANAFUKU
名前:玉川奈々福(たまがわ・ななふく)
誕生日:三波春夫先生と同じ7月19日
性別:女性
職業:浪曲師・曲師(浪曲三味線弾きのこと)
一言:1994(平成6)年10月、日本浪曲協会主宰三味線教室に参加。1995(平成7)年7月7日玉川福太郎に入門。師の勧めにより2001(平成13)年より浪曲師としても活動。2004(平成16)年「玉川福太郎の徹底天保水滸伝」全5回、2005(平成17)年「玉川福太郎の浪曲英雄列伝」全5回プロデュース。2006(平成18)年本橋成一監督作品『ナミイと唄えば』出演。同年12月、芸名を美穂子から奈々福に改め名披露目。さまざまな浪曲イベントをプロデュースする他、自作の新作浪曲も手掛け、他ジャンルの芸能・音楽との交流も多岐にわたって行う。かに座のO型。賞罰、なし。
MIDO9459.JPGAAJJ0027.JPGAAJJ9949.JPG撮影森幸一c_0056.JPG撮影森幸一(舞台写真)・御堂義乘(ブロマイド)

NEWS!奈々福のCD発売中! 
「ほとばしる浪花節! 玉川奈々福の寛永三馬術 曲垣と度々平/大井川乗り切り」
(発売元:有限会社武春堂 販売元:バウンディ)XQBT-1155 定価2500円。
取り扱い店:山野楽器(銀座) ミュージックテイト(新宿) ヨーロー堂(浅草) イサミ堂(浅草)
アマゾンほかのネットショップでも購入可能。
奈々福後援会でも取り扱います(別途送料200円がかかります)。ご注文はtamamiho55@yahoo.co.jp へお願いします。
CDジャケット.jpgこおゆう感じです。

「和装人インタビュー第50 玉川奈々福」by辻屋本店

玉川奈々福への仕事のご依頼は、ななふく本舗へ 090-7001-6867 tamamiho55@yahoo.co.jp
◎ おもいっきり笑える浪曲が聴きたい!
◎ 甚五郎さんや、忠臣蔵や、次郎長や、昔ながらの浪曲が聴きたい!
◎ 子供に、読み聞かせをしてほしい。三味線の音色も聴かせてほしい。
◎ 浪曲漫才もありえるんですか?
◎ 結婚式や、〇回忌で、一代記をやってほしい。
……などなど、お気軽にご相談ください。

奈々福自主公演の予約お問合せも、ななふく本舗へ(090-7001-6867 
ななふくonついった
http://twitter.com/nanafuku55
奈々福on facebook
http://www.facebook.com/nanafuku.tamagawa

2018年06月25日

ちょっと恥ずかしいロングインタビューが出ます。

「小さいころから浪曲をやっていたのですか?」
と、よくきかれます。
日本の芸能は家の子が小さいころから仕込まれてプロになるもの、という印象があるようです。
とんでもない。私はいい大人になってから浪曲の世界に入りました。
浪曲師になる前、私は出版社の編集者でした。
入門してからも、そして浪曲師になってからも、会社を辞めてはいませんでした。
いわゆる、二束の草鞋でした。

演芸界、というか、日本って「これ一筋」が好きだし、
これ一本で食べていけて初めて本物という感じがあるし、
二束の草鞋であることは誇れることではないので、
知ってる人は知ってるけれど、自ら言うことはありませんでした。
たまたま経歴を知った人が面白がって、その角度からの取材アプローチを受けたこともありましたが、全部断ってました。

浪曲で苦労してきた師匠・福太郎は、生前つねづね、「会社を辞めるな」と私に言っておりました。
「会社を辞めたら、浪曲を続けられなくなるからな」
「会社で稼いでいる給料と同じ額を、浪曲で稼いで、三年、それが続くまで、辞めるな」
超具体的。
こんなこと言える師匠、すごくないですか。
私は、師匠のいうことをよく聞く子(いや、師匠はそう思ってないな・笑)。
入門も、プロの三味線弾きになったのも、浪曲になったのも、ぜんぶ、うちの師匠の言うことを聞いてきた結果にすぎない、
ということもできる、くらいに、師匠がぶらさげる人参にかじりついたがゆえに、ここまで来たようなものなのです。

私のいた筑摩書房という出版社は一度倒産していて、私が入社した二十数年前はいわゆる「会社更生法適用下」で(そういう会社に入るなよ)、お給料、すっごく安い会社でした(いまは違うと思います)。
それにしたって、そこで毎月いただける給料と同じ額を、浪曲で稼げるとは思えない。
ましてやそれを三年続けられるとは思えない。
「そうだな、テレビやラジオのレギュラーがないと難しいかな」
と、師匠も言っておりました。
でも、師匠の意図は、それだけ稼げるようになれ、ということだったので、いちおうそれを目指して頑張ってみてました。
ところが、一生懸命やってみたら……このまんまじゃ死んじゃうって思いました。
出版社に勤めながら、出版社の給料と同額を稼ぐほどに浪曲やったりしたら、死んじゃう。
私の単価が、単にとっても低かったっていうことかもしれませんけれど。
ほんと、会社と浪曲で、寝る暇なくて、
舞台直前に全身蕁麻疹だらけになり(出てないのは舞台にさらしてる顔だけ)、
「ああ、この蕁麻疹が呼吸器粘膜にまでひろがったら死んじゃうんだな〜」と思いながら舞台こなしてたこともありました。

で、親が。

「お願い、会社を辞めて」

と、見かねて申しました。
二十数年前、浪曲に入門することに、大反対していた、親が。
そうだよな、と思い(私、素直なんです)、師匠の墓前に手を合わせました。
こればっかりは師匠の教えを破りますけれど、やっぱり浪曲だけでどこまでやってけるかやってみたいんで、許してください。
で、会社辞めてみました。
そしたら、なんとか浪曲一本でかつかつなんとかなった。
辞めて、もうけっこう経ちますけれど、今まで生きて来ている奇跡。

河野通和さんと出会ったのは、まだ駆け出しの編集者だった二十数年前です。
駆け出しの編集者にできるわけがない、難易度の高い著者の難易度の高い企画を、私が河野さんに相談したことがありました。
河野さんは、読売新聞傘下になる前の中央公論社の、確か当時「マリークレール」の編集長でいらしたんじゃないかなあ。
その後中央公論をお辞めになり、新潮社の「考える人」の編集長となられ、それが休刊となったあと、
ほぼ日刊イトイ新聞の、「学校長」になられました。
根っからの編集者でいらっしゃいます。

二十数年ぶりにお会いしたのは、昨年の夏、釈徹宗先生の河合隼雄賞授賞式の会場でたまたま。
「あなた、ものすごい転身だったね!」
それがきっかけで、ほぼ日が学校を始めるにあたって、ちょっと対談しませんか、とお誘いをいただきました。
「古典の話をしたいんだけど」、といわれて、いや古典全然詳しくないし困ったなとおもってたら、
河野さんから聞かれたことは、なんで浪曲師になったのか、でした。
で、えんえんとしゃべっちゃいました。
昔の縁ある人の導きのオソロシサよ。なつかしさの波に飲み込まれるように、いままでしゃべってなかったことを……。
ロングインタビューです。
たぶん明日(25日)の午前中に、この近辺の頁に掲載されると思います。
https://gakkou.1101.com/reading
三部にわけて、三日にわたって公開されるらしいです。
読んでやってください。

奈々福拝
posted by ななふく at 06:32| 東京 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。