この功績の大きさに、私はただただ黙って頭を下げてしまう。日本の芸能の豊穣な底辺に目を向けられ、足を運んで記録された。その中には、浪花節も入っている。小沢さんのお蔭で浪花節に注目した人もかなりいたはずだ。それを受け継ぐものとして、小沢さんのお仕事に深く、感謝をしている。
今となっては非常に貴重な音だ。いわゆる学問的なフィールドワークと違って、同じ芸能モノとしてクロウトの人たちに突っ込みを入れつつ聞きとっているので、彼らの言葉も、芸も、生き生きと生きたまま、真空パックされている。カセットをデッキにかければ、真空パックされたその時代の空気までが蘇ってくるような、気がする。
そんな取材の記録をまとめた本の中の一冊が、「私のための芸能野史」という本で、私はこの本の頁を、ことあるごとに繰る。小沢さんが取材した人たちはいわゆる遊芸稼業人。当然そうなるべくしてそうなった、もしくはそれをするために生れてきた、そうしなければ生きてこれなかった、「クロウト」さんたちである。取材しながら、小沢さんは、彼らにコンプレックスを抱いた。自分は「クロウト」ではない。彼らに近づけば近づくほど、自分が差別されている気がする。「や〜い、おまえなんか仲間に入れてやらないよ」。
時代は変わり、いわゆる「クロウト」は、ほとんど姿を消したと言っていい。私ごときがなにゆえか浪花節になって、浪曲師を平気で名乗る時代である。でも浪花節には、いまだにどこかにクロウトの匂いというものが残っていて、私はそれに憧れつつ、やはりその仲間には入れてもらえない恐怖を感じる。小沢さんの気持ちがわかる気がする。
友人のブログに、佐賀の遊芸稼業人「かっくん」の存在を見つけ、非常に興味を持った。
かっくんの情報を集めているさる方の説明をちょっと引用する。
「【かっくんちゃん】本名・市原 角一(いちはら かくいち。格市?格一?角市?)
1894(1898,1904諸説あり)〜1952(昭和27)年8月24日没
佐賀県杵島郡白石町須古出身。弱視で知的障害があった。
筋骨隆々たる巨躯で、真冬でも裸にフンドシ一丁。
寺の半鐘を撞木で割った逸話もある怪力の持ち主。
首には大きな瘤が三つあり、そこに布を巻いていた。
人からおにぎりを恵んでもらうと必ず土の上に転がし、泥をつけて食べ、貰った銅貨は口にふくみ、時にそれを歯で二つ折りにするなどの奇行は戦前の佐賀県下で広く知られていた。
しかし、柄箱に弦を張った手製の一弦三味線を華麗にさばき即興でひとたび歌いだせば、哀切・諧謔・社会諷刺・艶笑などのアイデアに満ち溢れ、人々の心をとらえて離さなかったという。
三味線、ラッパなどだけでなく鐘や太鼓など打楽器でもその天賦の才は発揮され誰も真似できないようなグルーヴ感のあるリズムを奏でた。
各地の祭礼行事には欠かせない存在であり県内のみならず福岡、長崎まで唄い歩き門付してまわった。花街で芸者衆と三味線の弾き比べをしても、連戦連勝をほこった人呼んで「佐賀のベートーベン」。
昭和27年、転がしたおにぎりに農薬が付着しそれが原因で突然この世を去る。人を疑うことを知らず、たとえ腐ったものを食べても腹を壊さなかった男は、近代文明が求めた「合理性」の前に散った。
戦前から佐賀で暮らしてきた人々に今も懐かしく語り継がれ、愛されつづけているかっくんちゃん。そして何より、この異形の唄者の存在を大らかに受け入れていた時代がかつてこの日本にあった、ということ。
映像・音源は残されておらず、現存する写真もわずかに2枚だけ(1枚は本人のものか未確認)」
私は友人のブログで見つけるまで、この人の存在をまったく知らなかった。こういう人の存在が、なんだか自分の心に気持ちよく風穴を開けてくれるようで、ああ、こういう人が私がやっている芸のご先祖様なんだよなと思うと、とても嬉しく、また、到底彼のようにはなれない自分を忸怩たる思いで振り返り、そして、ご先祖のかっくんを、拝みたいような気持ちになる。
どなたか、かっくんのことを知っている人がありましたら、情報待ってます。
これがかっくんちゃん。
【日記の最新記事】



ありがとうございます。
もっと早いうちから
話をきいておけばよかったと悔やむ反面、
こんなに多くの方の(佐賀県外からも)
協力を得られると思ってもみなかったので
感激してます。
ともあれ、どんな小さなことでも
てがかりになることがあれば・・・。
ウーム。この読み慣れた「かっくんちゃん」の説明も、美穂子さんの声と節を想像しながら読むと、またこれケッコーな迫力です!
書き込みありがとうございます。どなたから、どんなお話を聞いたのですか? 彫刻は、あの写真から起こされたのでしょうか? 彫刻はどこかで見ることができますか?
先ほどお便りを書いておりましたら突然消えてしまったので再度お便りします、二重になったら御免なさい。
「かっくんちゃん」の懐かしい名前について。
先日家内と近くのラーメン屋に言ったとき仙台四郎と言う人の人形が置いてあり、ネットでその人なりを調べてみましら、結構ユニークな人だったようです。
そのとき我が田舎にも「かっくんちゃん」と言う一弦三味線を自在に操る変わった小父さんが居たよと変な自慢をして、でも仙台四郎のように成った人ではないからネットには出てないだろうと言いながら、「かっくんちゃん」と入力したら貴ホームページが有り入りました。
小生「かっくんちゃん」の郷「白石」から西へ山一つ隔てた「久間」と言うところで少年時代を過ごしました、「かっくんちゃん」はよく我が郷(母の実家)にも寄ってました、そのつど怖々お握りを渡していた記憶があります。
ある日、伯母が握ったお握りを何時ものように食べて一弦三味線を弾いていましたところ、近所の小父さんが「炭坑節ば弾いてくれんかにゃ」と言ったら突然怒って食べかけていたお握りを地面に叩きつけ三味線も置いたまま何処かへ行ってしまいました。
当時小学3〜4年生であった小生はとても怖かったこと、でも伯母は、「かっくんちゃん」はすぐ戻ってくるよとニコニコ笑ってお握りを作ってました、夕方に伯母の言うとおり戻ってきて、伯母が新たに握ったお握りを地べたに転がして美味しそうに食べて帰った行きました、その時の「かっくんちゃん」の肩の三つのコブタンが今でも目に浮かびます。
因みにその伯母は「かっくんちゃん」の住んでいた白石の須古と言う所に嫁いでいてその日は実家に手伝いに来ていたのです、伯母は「かっくんちゃん」と顔見知りだったのかもしれません。
右 長くなりましたが懐かしさのあまり、思い出を書かせて頂きました。
たまみほ日記の益々の発展をお祈りします。 早々
大変貴重なことで、嬉しいです。ありがとうございます。
仙台四郎の肖像は、北関東、東北を旅しているとお店でよく見かけます。商売繁盛の神様ですね。
私の両親は佐賀の大町町出身で、かっくんちゃんの話を聞いたことがあります。最近父から借りた大町町の写真集(と言っても冊子です)にも”かっくんちゃん”が登場していました。たまみほさんが掲載している写真と同じものが載っていました。
私自身、20代最初に沖縄で暮らしていて、その時出会った三線を今も続けています。三味線のサイズにどうも馴染めず、三線の蛇柄はあまりにも沖縄を背負っているしで、今は三線の腹を三味線の様に白く作ってもらって弾いております。独学なので成長に限界を感じる今日この頃です。
現在福岡県博多で暮らしております。
三線サイズで胴皮の白い三味線! どんな音がするのでしょう。同じ糸三本の楽器、たとえば同じ太棹でも、津軽と浪曲では小道具の違いから、音色が違います。大番さんはどんな音にアコガレ、どんな音を弾いておられるのでしょう。